カテゴリ:東日本大震災( 22 )
住めなくなった浜では

あれから6年の月日が過ぎました。
久しぶりに訪れた仙台市若林区荒浜では、工事車両が行き交って~

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深沼海水浴場として、市民の憩いの場でしたが、今は住むことができない。

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ふる里を忘れたくない、忘れないでと建てられた記憶の鐘
触れるのが畏れ多いような気がして鳴らせませんでした。
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犠牲者の名が記された石碑と、御霊を慰める聖観音像、
この日も、たくさんのお坊さんたちが訪れて経文を~

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それでも、電柱に残されていた「荒浜」の文字、
たった一つある信号と、配線柱にのみ地名が残されていました。

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ふる里の地を訪れる人たちのために個人が建てたロッジ
バス停の表示も個人が思いを込めて作ったそうです。

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これら残った松の高さ(13m)の津波が襲ったということでした。

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それでも、人々は生きて行かねばなりませんね。
砂浜に咲く花の命も、尊く、ことさら美しく思われました。



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by sidu-haha | 2017-06-09 11:18 | 東日本大震災 | Comments(6)
あれから6年~


昨日、親しい方が亡くなった。病床にはあったものの、やはりショックが大きい。
それなのに、あの災害で被災した方々、家族や知人、友人を亡くされた方々の心境は~

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明日は、東日本大震災が起きてから、6年目になる。

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女川へ行くと、山を切り崩した土で、土盛りされた上に、新しい街が生まれていた。

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もともと漁業の街だったから、豊かさがあちこちに見られる町だったけど、

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津波の押し寄せた平地は、重機がたくさん稼働し、生まれ変わるための工事が進捗中。

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漁船の数も、こんなものじゃなかったのだけど、それでも、歩みを進めている。

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みんなが応援しているよ。全国の人たちが、見守っているよ。

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そして、自然への畏怖の念を忘れないで欲しい。もちろん、私たちもです。

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by sidu-haha | 2017-03-10 11:04 | 東日本大震災 | Comments(10)
防災庁舎~


あれから3年が過ぎた。

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昨日、東京から来た某新聞社の方を案内して南三陸町へ
あの防災庁舎には、今もお参りの方の姿がみられる。
先日の命日には、この前にたくさんの方々が集まった。

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ここは、塩入という地名~海が間近に見える。
古い時代には、海がここまで迫っていた地だった。

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人はいろんな目的をもって、海を埋め立て、陸地を広くしたんだよね。
家並に隠れてしまった海の存在を、毎日の暮らしの中で忘れてしまっていたのかもしれないなあ~。
そんなことを感じながら、また歩いてきました。

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ここは、残谷という地にある旧家~~
800年以上前の大津波にあったとき、周りの家はすべて流され、このお宅だけが残ったそうです。

同じ南三陸町の入谷地区にあるのですねえ。
昔の方々は、海沿いの平地が津波の被害合いやすいことを知っていたのですね。
これからの震災や津波被災にも、こうした昔の方々の見えない言葉を聞いて欲しいなあと思いました。

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残念ながら、お日様が出ていなかったので、花が開いていなかったのですが、
残谷に咲いていた福寿草です。春近し~~ですね。


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by sidu-haha | 2014-03-15 09:12 | 東日本大震災 | Comments(15)
3.11~まもなく3年


魔のようなあの日からまもなく3年目の3月11日を迎えます。
たくさんの方々が被災され、犠牲になり、現在も辛い日々を過ごしておられますが、
どうか、わずかずつでもよいから、前を向いて歩いて欲しいなと思っています。

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家を流されたり、家族を亡くした人~がおられますが、
皆、前を向こうと、心を一つにして頑張っています。

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瓦礫が取り払われて、更地になった街は、浜風が吹き抜けるばかり~
危険区域として住むことはできなくなりました。

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それでも、ふる里の神様を再建し、心の拠り所としています。

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その傍には、亡くなられた方々の慰霊碑が建てられました。
それぞれの名前が刻まれていますが、2歳、3歳、6歳などと
幼い命も刻まれていました。

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何事もなかったかのように静かな海~~
もう、暴れないで下さいね。
そして、亡くなられた方々のご冥福をお祈りしております。
残された者が、この災害を風化しないように伝えていくことを誓って~。合掌


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by sidu-haha | 2014-03-08 10:03 | 東日本大震災 | Comments(18)
重茂(おもえ)半島へ


3泊4日で陸中の調査に行って来たのですが、初日に大槌に泊まり、
二日目は重茂半島を廻りました。

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重茂半島へは震災前に行ったことがあったのですが、今回は一人で回って来ました。
すごくヘヤピンカーブの連続の道を、進めど進めど集落には辿り着きません。

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沿岸を走る道から、大沢あたりで山道になり、新緑が~~風にそよぎ、光を放つようでした。

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最初に見えて来たのは、川代(かわしろ)という集落~~浜から急激な崖地に家があり、
その急坂を津波が上ったそうで、津波到達点の石碑が新しく建てられていました。

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ここから、石浜、千鶏(ちけい)と過ぎて、重茂の集落に入ります。
どの集落も、浜はあるものの、民家はわずかずつでした。
それでも、千鶏には小学校があり、川代や石浜の子供たちはここへ通っているそうです。

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今回の大きな目的地、姉吉へ近づいてきて~ ここは、明治にも、昭和にも壊滅したそうで、
以来高台移転して、「これより下に家を建てるな」の石碑があります。

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分岐点から坂を下ってしばらくは家があったのですが、石碑より下にはありませんでした。

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ご先祖様からの伝言を守った姉吉の人々は、津波から免れ、現地で亡くなった人はいなかったそうです。

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姉吉の地名は、アイヌ語で「小さな浜」となるらしいです。
坂を下って行くと、まさに小さな小さな浜がありました。
打ち寄せる波と紺碧の海がとっても美しい花で~~しばらく休んで来ました。
ここからトドケ崎に行ける散歩コースがあるらしいのですが、ちょっと怖いのでやめて~

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途中で咲いていた栃の花~~重茂半島は上って行くとかなり季節が戻っているようで、
もう一度初夏の花を楽しむことができるようでした。

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久々に訪れた重茂半島~~懐かしさの前に~目を覆いたくなるような光景が続いていました。
あちこちに、津波記念碑が建てられていました。
それほど、長い津波との戦いが続いているエリアなのですね。

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by sidu-haha | 2013-06-10 18:05 | 東日本大震災 | Comments(17)
織笠の海~


あれから二年が過ぎた津波被災地へ~

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(岩手県下閉伊郡)山田町織笠から見た山田湾~~こんなに美しい海でした。

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左端に見えるのが、織笠橋~~ちょうど織笠川の河口になっている地点でした。
真っ青な海が、吸い込まれそうなほど~

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小さな島が二つ~~津波はこの岩を楽に超えてやって来たのでしょうね。

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国道45号沿いには、このような⑦標識が続いていました。
新しい警告指示板でしょうね。

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織笠大橋です。

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川を遡上した津波は、線路も住宅地も壊して去ったそうです。
トラックの案内をしたいた男性は、駅も線路もなくなったんだよと悔しそうでした。


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by sidu-haha | 2013-06-07 07:47 | 東日本大震災 | Comments(17)
ひょっこりひょうたん島~


三月になり北上山地の峠に雪が消えた彼岸中に、
釜石から大槌町へと津波被災地の調査に行って来ました。

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ほら~~会えたんですよ~~ひょっこりひょうたん島~~に。

テレビで、あのメロディが流れて来ると、ドンガマチョの声が聞きたくて~
すっかり虜になっていたあの頃~

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初日は、釜石市両石や鵜住居など調べ、小鎚に再建された小川旅館に泊まり、
翌日、大槌町のメインや安渡(あんど)を過ぎ、赤浜へと入ったら見えて来ました。

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津波で灯台は壊されたのですが、デザインを募集して赤灯台が再建されたそうです。
島の名前は、蓬莱島というのが正しいのだそうですが、やっぱりひょうたん島ですね。
ドキドキしながら見てきました。

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高台にあった赤浜小学校も被災し、既に校舎は取り壊されていました。
それでも、漁師さんたちが、何やら作業をしていて、元気な声が聞こえていました。
とても嬉しいですね。復興は、あまり進んでいないようで、胸が痛みます。

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イカ釣り船~~この辺りの浜では盛んなのだそうです。

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取り壊された赤浜小学校の傍に、津波記念碑が建っていました。
「危険地帯 住まいをするな」と刻まれていたのですが~

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以前の津波で高台移転していた吉里吉里でも被災していました。
被災したおばちゃんたちが、食堂を開いていました。
是非、みなさん、お出でになってみて下さい。そして元気をあげて下さい。

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「だけど、ぼくらはくじけない~~♪ すすめ~~ひょっこりひょうたん島~~♪」

吉里吉里やひょっこりひょうたん島は、井上ひさしの作品ですね。
我が家から遠いので、二泊三日の調査でした。


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by sidu-haha | 2013-03-27 07:33 | 東日本大震災 | Comments(21)
東日本大震災~まもなく二年~
3.11に思うこと&被災地の方々への応援メッセージ!




あの日がまたやってくる。あれから、二年~
復興ははかどっているとは言いがいたく、
仮設住宅に入っている人々の悩みはどんどん大きくなっているようだ~

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たくさんの子供たちも、悲しいめにあった。

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残された者たちのケアは、どうなんだろう。
心を病んでいる人もどんどん多くなっているという。

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仮設住宅の建っていた土地の契約を打ち切る人も出てきたとか~
(仮設住宅は、私有地に建っていることが多いのだそうだ)
住むところのないということは、どうなるのか~

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どうか、幸せな道を、明るい日のさす道を歩いて欲しいと思う。

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もう、何もなかったように思っている人もいるようで、記憶が薄れているらしい。

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でも、忘れてはいけない。ボランティアがどんどん減って来ていて、お年寄りは大変~

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この震災の記憶が、いつまでも語り伝えられることを願いたい~

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被災現場で見た、汚れた筆入れやランドセル~
松の根方にあったぬいぐるみやおもちゃ~
木の枝に引っかかっていた下着や衣類~

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時には、遺体が下がっていることもあった、被災地の現場~
二度と見たくないと思う。

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美しく大きな自然~~どうか、私たちを、いつまでも優しく見守っていて欲しい。
あれから二年~被災した人々の心の傷を、忘れないで欲しい。

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雛飾りは、宮城県丸森町の斎理屋敷で展示されていたものです。


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by sidu-haha | 2013-03-09 07:07 | 東日本大震災 | Comments(23)
東名浜で


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浜辺に祀られていた八代竜王だけが、少しも傷まずに残った。

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奥松島の小さな浜~地震の後、津波が対岸から襲来し、エリアは殆どが地盤沈下した。

80センチは沈んでいるそうで~

カモメだけが、すんなりと浪の行方を認めて戯れている。

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牡蠣の種がついたホタテの殻を、針金に通す仕事をしていた女性たちは、

毎日、午後になったら、浪から逃げないとならないんだよ、と話した。


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by sidu-haha | 2012-10-20 02:18 | 東日本大震災 | Comments(20)
防災の日~でした。


あれから、すごく時間が過ぎたような気がするのに、
まだ、一年と半年~ なんですね。

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ここは、岩沼市の被災地~です。
菊芋の花が、浜からの風にそよいでいました。

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松原という所で、津波の高さを教えてもらいました。
海がこんなに近いとは思っていなかったし、浜からの風当たりが強くなったと言っていました。

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除塩作業の済まない田んぼには、こうした青草が茂り、砂が堆積していました。
来年は田植えができるかな~と危ぶんでいましたが、まだ間に合うのでしょうか。

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もう、昼が誓いのに、木陰では朝顔がまだ開いていました。
うれしいなあ~~(#^.^#)

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以前、調査に行ったときは、ここには集落があり、お寺もありました。
なんにも失くなって~ただ茫洋とした草原があるだけ~
みんな、どこへ行ってしまったのか、まるで、別世界です。

ここは、貞山堀のほとりにあった藤曽根という集落です。
今日の写真は、つい昨日、8月31日に、写したものです。
更地になった土地には津波がえぐった跡に、水がたまり、ミズアオイが咲いていました。
絶滅危惧種なそうですが、植物の種は、いつまでも生きているのですね。

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津波が表土を流したので、地下深く沈んでいた種が芽をだしたようです。
よいのか、悪いのか、おかしな気持ちになりますね。

もう、このような災害は起きてほしくないですね。


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by sidu-haha | 2012-09-01 23:33 | 東日本大震災 | Comments(17)