人気ブログランキング | 話題のタグを見る
仙台街歩き

今日は、仙台コンセキ発掘塾番外編で、仙台若林の方を、みんなで歩いて来ました。
先ずは、河原町から歩き始め、江戸時代の奥州街道を~、そしてまだまだ続きます。

仙台街歩き_d0041158_21585813.jpg
江戸時代には、宿だったという古い建物が残されていました。針久旅館です。
仙台街歩き_d0041158_21591029.jpg

ここは、七郷堀に沿った南染師町、愛染明王が祀られています。
染師町は、北では絹織物など高級品を、ここでは、庶民用の木綿を染めるのが専門だったそうです

仙台街歩き_d0041158_21591664.jpg

七郷堀にかかる橋の名が、南染師町でした。
次に、奥州街道へ、伊達政宗が仙台城を築き、その後若林城を築いたことで、こちらへも道が伸びたようです。

仙台街歩き_d0041158_21593231.jpg

何気なく歩いていると、高低差に築かないのですが、目線を下げると坂になっているのがわかるとか。
みんなで、腰を下ろして確認中!! それを向こうから写真に写す人もありです。

仙台街歩き_d0041158_21592579.jpg

足軽のおかれた五十人町、六十人町と続く通りには、足軽屋敷の名残もまだあって。
そして最後に、現在は宮城刑務所になっている若林城跡へ。
仙台街歩き_d0041158_21594976.jpg

仙台街歩き_d0041158_21595587.jpg
仙台街歩き_d0041158_22000382.jpg


高い塀がありますが、その手前に土塁跡が残されています。
ここは江戸時代からの城へ入り口の一つだったそうで、土塁が切れていました。

仙台街歩き_d0041158_22123082.jpg


一帯には、現在古城の地名が残されています。
若林城は、政宗も亡くなるまでの8年しか住めなかったそうで、その後は取り壊されてと聞きました。
しかし、現代になって発掘すると、いろいろその痕跡が見えて来たと、
ブラタモリで、タモリを案内した方が、今日は私たちをガイドしながら話してくれました。
仙台城下は、なんどか街並みが移されたりしながら広がっています。なかなか興味深い街歩きでした。



# by sidu-haha | 2018-02-04 22:15 | 仙台
氷の水面へ白鳥が~

このところ続いている雪と寒波で、さすがに大きな池にも、氷が厚く張ってしまった。

氷の水面へ白鳥が~_d0041158_17192436.jpg


今日は、白鳥が数羽いるだけで、鴨の群れもまったくいない。どこへ行ったのかな~。
と、そこへ、白鳥の鳴き声が~、そして、池の白鳥たちも、おかえり~と言ってるのかな~の気配。

氷の水面へ白鳥が~_d0041158_17183073.jpg


来た~~。帰って来たよ~。うわ~、嬉しいなあ~。
私も白鳥の家族気分で、空を見上げた。

氷の水面へ白鳥が~_d0041158_17184194.jpg


バシャバシャ、バシャと~水音というか、氷を割るような音も聞こえて、
僅かに融けて、狭い、水面に、おりてきた。
セーフ!! と言いたいような~。

氷の水面へ白鳥が~_d0041158_17185044.jpg
氷の水面へ白鳥が~_d0041158_17185720.jpg

白鳥の白い色と、氷の白い色とが融け合ってしまって、写真としては、どうなのでしょうね~。
でも、氷で閉ざされたところへ、帰って来てくれて、すごく、嬉しかった。(๑′ᴗ'๑)



# by sidu-haha | 2018-01-28 17:29 |
水鳥の災難

近くの川へ、白鳥に会いに行くと、ワンパク小僧がいた。

水鳥の災難_d0041158_09421828.jpg
ワザと鴨が遊ぶ水際を、ダッシュで駆けると、
水鳥の災難_d0041158_09422968.jpg

大慌てで飛び立つ、それが面白くてたまらないらしい。

水鳥の災難_d0041158_09423557.jpg
バシャバシャと羽音をさせて逃げる鴨さんたち、ちょっと可哀そう。
水鳥の災難_d0041158_09424385.jpg


止めない親もどうかと思ったのですが、
写している私も、悪いのよね~。ハンセイです。




# by sidu-haha | 2018-01-16 09:48 | 渡り鳥
登米市南方の大嶽山へ

南方の大嶽山興福寺へ、初めてお参りしてきた。

登米市南方の大嶽山へ_d0041158_22533777.jpg
黒門と呼ばれる山門、お寺といいながら、鳥居のよう。
他にも、何カ所か、赤い鳥居も立っていた。古い時代の神仏混淆の名残らしい。
登米市南方の大嶽山へ_d0041158_22534804.jpg
長い坂を登ると、緑のシャガがいっぱい。古代や中世には館だったろうか。
登米市南方の大嶽山へ_d0041158_22535665.jpg
どんどん、崖地が目立って来て、石垣や蛇籠が積まれていた。
ご住職のお話によると、岩盤ではなく、粘土が多いそうで、地滑りもあるらしい。

登米市南方の大嶽山へ_d0041158_22540742.jpg

登米市南方の大嶽山へ_d0041158_22541491.jpg
山門が立派で、まるでお城の門のよう。
登米市南方の大嶽山へ_d0041158_22542234.jpg
登って、びっくり。まるで箟岳山の箟峯寺そっくりの建物。
伺うと、明治以降、箟峯寺の末寺になっているとのことだった。

登米市南方の大嶽山へ_d0041158_22543561.jpg
箟峯寺とそっくり同じ坂上田村麻呂伝説が残されていた。
大嶽丸というエミシの頭が、退治されて、首が鬼首まで飛んで行ったというお話です。
どうも、地元民としては、退治されたという言葉にひっかかりますけどね。
登米市南方の大嶽山へ_d0041158_22544706.jpg


可愛い狛犬さんでした。

登米市南方の大嶽山へ_d0041158_22545574.jpg


お堂の周りには、これは、二十四孝物語、どこかで聞いたことのある人の姿がずらっと。
知りたいことについては、全然目的が叶わなかったけど、立派なお寺に感激してきました。


# by sidu-haha | 2018-01-13 23:13 | 正月
仙台の河岸段丘を歩く


仙台の街は、元々城下町でした。
その城下町は広瀬川が作り出した河岸段丘の上町段丘・中町段丘・下町段丘にあります。

仙台の河岸段丘を歩く_d0041158_01332414.jpg

ここは、宮城県庁で、勾当台という高台に位置しているます。
勾当台公園が左端まであったのが、東二番町を閉じた感じ(þ字路)になっていたそう。

仙台の河岸段丘を歩く_d0041158_01334750.jpg


それが道路改修により北へ向かって真っすぐになりました。
この付近になると中町段丘になる。そして、次第に道は下がっていきます。

仙台の河岸段丘を歩く_d0041158_01340438.jpg

ここは、公園の低い所から段丘を上る地形で、定禅寺があった場所へ向かう。
この上に、定禅寺の山門があったらしい。

仙台の河岸段丘を歩く_d0041158_01342016.jpg


この像がある付近が山門跡。
このお寺は、時代は不明ですが無くなり、県庁付近は、仙台藩の学問所、
養賢堂になっていました。
その名残に、定禅寺通りの通り名が残っています。


仙台の河岸段丘を歩く_d0041158_01550147.jpg

真中の道、この辺りが、養賢堂の門があった所だろうという。
そのため、市役所の前の通り(ここに真っ直ぐ通じる道)が表小路になっている。
仙台の河岸段丘を歩く_d0041158_01332520.jpg


県庁から、南への道は、どんどん下がって行き、歩くとその傾斜がよくわかる。
しかし、この道、江戸時代にはこんなに真っ直ぐでなかったようだ。
それは、県庁のある段丘崖が道を遮るような地形だったのではという。
だから、左のほうへグイと曲っていると。

仙台の河岸段丘を歩く_d0041158_01582244.jpg


ビルの谷間に残る古い地形や道、デッカイ街なのに、こんな風に歴史の痕跡があった。
うまく、説明できていなくて、すみません。
伊達政宗は、この河岸段丘をうまく利用して、仙台城下を作り出したらしい。



# by sidu-haha | 2018-01-08 02:03 | 仙台