私の手元に一冊の詩集がある。
タイトルは、「隻手への挽歌」、そして表紙には、理知的な女性が微笑んでいる。 その帯には、 ~英国の詩人・批評家のW.エンプソンが、その才能を称讃した 「幻の日本女性詩人」C.ハタケヤマ 明治に生まれた隻手(片腕)の女性の心の強さ、凛々しさを毅然と表した 珠玉の作品集 ~ と記されている。 畠山千代子は、1902(明治35)年11月13日、宮城県中田町(現登米市)に生まれた。 そこは水田の広がる静かな地で、千代子の生まれ育った頃と変わらぬ風が、木々の梢を揺らし、青空の下、今もやさしく吹いてくる。 千代子の父は、蚕種業者として大成し、裕福な養蚕農家であったという。現在お隣のご本家から分家して4代目のお家柄で、旧家を偲ばせる大きな家が、日本の農家の繁栄を思わせて懐かしくさえあった。 屋敷には、冬の日差しが木々の隙間を縫って明るく揺れながら輝いていた。 「ほとんど、千代子が植えた木なんですよ。」(畠山道興氏談)という木々は、葉を落とした枝を天にかざして凛と立っていた。 「クリスマスのツリーに使ったのを庭に植えたようなのですが、この頃に倒れそうになったので、切り倒したのですが・・」 というドイツトウヒの切り株と幹が、千代子の心を伝えているようで、畏怖感さえ漂っているような気がした。 8歳のとき、養蚕のための桑の葉を入れる「ワラダ」という籠を運ぶ手伝いをしていて、濡れ縁からすべり、転落するという事故で右腕を骨折した。当時のギブスは、杉皮を巻くという処置だったそうだと、現当主の畠山道興氏より話していただいた。 その後出張から戻ったお父さんが帰宅され、新田駅(東北本線・当時一番近い駅だった)から仙台の病院へ運んだが、すでに手遅れであったという。 千代子の右腕は、肩の付け根から切断された。利発で気丈な千代子が、翌朝目覚めたときには、すでに右腕を失くしていた。 「現代なら、そんなことは決してなかったのでしょうがねえ~」と、道興氏は語る。 当時4年生だった千代子の入院先へ、同級生たちからの手紙が届いた。 その手紙は、今も大切に保管されていた。 漆塗りにコスモスの蒔絵を施した文箱は、千代子が卒業した宮城学院の校章と1920の年号が記されていた。 ほとんどが同文の手紙の中に、自分の言葉でお見舞いを書いていた人があったことは、とても印象的だった。 <C・HATAKEYAMA> 道興氏夫人の菜穂子氏が、次のようなことを話してくれた。 「~捜していたことは、知っていたんですよねえ~。 まさか、我が家のおばちゃんのことだったとは~」 千代子は、父のはからないで、仙台の宮城女学校英文専攻科(現宮城学院)へ入学、卒業した。片腕だということを忘れさせるほど、なんでもよくでき、学生時代には、シェクスピアの「リヤ王」の主役を演じ絶賛を浴びたという (古関良行著 「隻手の詩神」=仙台学2号より) 千代子は卒業後、1926(大正15)年4月、弘前女学校(現弘前学院聖愛高校)へ英語教師として赴任した。この弘前時代、千代子は、当時日本に滞在していたイギリス文学者、若き日の詩人ウィリアム・エンプソンと交流が始まった。 千代子は、自作の英詩の添削を依頼し指導を受けている。エンプソンは、千代子の才能を激賞し、エンプソンの翻訳として、その名も、「C・HATAKEYAMA」としてイギリスにその作品を紹介した。1930年代半ばのことだったという。 エンプソンと二度対面したこともあった千代子だったが、ある時から添削などの指導を受けることを止めてしまったという。 菜穂子氏は、千代子のことをこんな風に話してくれた。 「十分なやさしさと、十分な教養と厳しさを持っていた人だった。 有名になろうとする気持ちはなかった。 もしかしたら、若いときには、文学的な野心があったかもしれないが、 いかにして、人の役に立てるかということが、一番だったと思うし、 信仰が、最高の関心事だったのではなかっただろうか・・・」 と。 2003(平成15)年3月、仙台市青葉区の当時東北大学院文学科英文学研究室の斉藤智香子助手(当時)のもとへ、同じ研究室の外国人教師で詩人のピーター・ロビンソンより、「ミス・ハタケヤマという人を知らないか」と問われたことがきっかけとなり、「C・HATAKEYAMA」という女性詩人を捜すことになったという。(「隻手の詩神」より) 先の菜穂子氏の言葉は、このことを語っていた。 それは、英国の詩人の「ウイリアム・エンプソン全詩集」に、一人の日本人女性の詩が、三編収録されており、作者は「C・HATAKEYAMA」とのみ記され、日本のどこの人なのか不明で、謎の詩人とされていた。 エンプソンによると、「― 彼女は、日本のどこか北の方にある学校の教師だった。―」 と語り、添削・翻訳したことが判明している。 その後ロビンソン氏は、イギリスの高級紙タイムスが週刊で発行している書評紙『ザ・タイムス・リテラリー・サブルメント』の、2003年7月18日号に「エンプソンと隠された詩神(ミューズ)」と題し、論文を寄稿した。 その表紙には、千代子の写真が掲載されたという。これは大変異例のことだった。 探索の手は、やがて、中田町の畠山家へ到達した。 その後、斉藤智香子氏、畠山菜穂子氏編集により発刊されたのが、初めに記した「隻手の挽歌」の詩集だった。 千代子の詩は、力強く、しっかりした精神性を表現し、決して軟なものではない。 悲しいとか苦しいという表現はほとんど見られない 晩年は母屋の座敷で暮らし、詩作などをしていたという部屋の前は、小さな林のようだった。千代子によって命をもらった木々でした。一番背の高いメタセコイアは、秀に受けた風を、次から次へと他の木へ歌うように伝えていた。 私たちの古里・宮城県に、こんなにすばらしい女性がいたことに、私はとても感激してしまった。初めて、畠山千代子のことが報道されたとき、もっともっと、この女性のことを知りたいと思ったものだ。 世の中にその作品を出すこともなく、他の方々に知られることもないまま、千代子はこの世を去り神のもとへと戻って行った。 エッセー「鷭と道ぐさの沼」の中で、その沼のほとりを恩師と散策中に、その恩師がジュンサイ舟を見つけ、ジュンサイ採りをしたいと言い出し、地元の方の舟に乗せてもらい、ジュンサイ採りをした様子を書き残している。 その沼は、今では水田に変わってしまった。中央の森に、諏訪神社が祭られていたことから、この沼は諏訪沼と呼ばれたらしい。
by sidu-haha
| 2007-01-14 05:09
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