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山奥の村から~③



乞うご期待などと、すごく思わせぶりに書いてしまったこと~

すごく反省しています。ゴメンナサイ。

実は、これは、私一人だけの思いこみの「えらい物」だったかもしれないのです。


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それは、これ、だったのです~

もしかして、すぐおわかりの方もお出でかもしれないのですが~

これは、鉄滓(てっさいorかなくそ)と呼ばれるもので、

砂鉄や鉱石と木炭を使用して、高炉で鉄を取り出した残りのもの、

つまり、製鉄したときの残りもの・滓なのです。

しかも、これは、製鉄炉の炉壁の溶けたものでした。


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この付近は、別所という地名があって、古代に東北の住民だった「エミシ」

と呼ばれた人たちが、ここに集められて、製鉄に従事されていたという場所でした。

全国にある「別所」の地名の地に、移配されたとも言われています。

つまり、古代の東北を、大和(律令)化して行く過程でのことでした。

それと、この付近には、関東地方(武蔵国など)からもたくさんの人が移配されてきて、

律令化の役目を負わされて、稲作従事や戦闘員として配置されていました。


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しかも、この高台の下の方には、小さな池もありました。

これは、刀鍛冶などが、焼きを入れる時に使った聖水ではなかったか~

歩いているうちに、どんどん確証化されていき、山の神様、地名、伝承、

そんなことが、いっぱいつながって行きました。

そして、最後に、この石について、知っている方がいるというので、そこを訪ねました。


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すると、この方にお会いしました。

93歳だそうです。

この方のお話では、「あの石は、父親が、川向こうから、お社をこちらに移した時、

社に祀られていたのを、そのまま、一緒に持って来て、置いたものとのことでした。

ということは、確かに、この付近で製鉄があった時代の存在を裏付けてくれました。

しかも、この方は、もっとすごいことを話してくれたのです。

それは、このお宅は、平家の落人で、波平行安(なみのひらゆきやす)という

刀鍛冶の御先祖様があったことを話してくれたのです。

あの高台のたくさんの神様のすぐ横下の方で鍛冶屋をしていたというのです。

だから、あすこに、池があったし、この祠を氏神としていたのですね。


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因みに、波平という刀工集団は、岩手県一関で技術を習得し、

鹿児島市で繁栄、現在もその家系は連綿と続いています。

波を平らげて、無事に戻るという願いを込めて、海軍の兵隊さんにとても重宝されたとか~

私が、昨年、鹿児島の鍛冶遺跡へ行って来たと話すと、

この方は、とても感激しておられました。


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何度も通ったエリアで、ついに確証を得ることができて、私も感激でした。

すみません、私一人が喜んでしまって、大げさに書いてしまいました。

以後、慎まないといけませんね。(^0_0^)

ここまでお読み下さり、ありがとうございます。

フクジュソウの花は、今年初めて、このエリアで会った春でした。




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by sidu-haha | 2009-02-16 18:17 | 春~


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