あれから、もう、7年が~

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あれから、7年が過ぎた。今日も海は美しい。
震災後、どうしても歩かなければならず、心の負荷を隣に置きながら調査に行った。

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少しは、気持ちが軽くなっただろうか。
いや、そうでもない。海を見ると、海がどんなに美しくとも~

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傍に寄るのも、勇気がいった。
ここは石巻市北上町十三浜の大室浜

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何事も無かったように~笑顔で話す人がいた。
その心の奥を見ることはできない。

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一人、船外機を動かし、海へ出ていく老漁夫、
静かな海が、輝きながら、受け入れているように見える。

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残った人々は、高台に家を建て、集落が、暮らしが、また、動き出していた。


# by sidu-haha | 2018-03-16 19:06 | 東日本大震災 | Comments(13)
北上川を舟で~

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生憎の雨待ち空で、ちょっぴり残念なのだけど、
舟に乗せてもらって、北上川を漫画館のある中瀬から遡上した。
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いつもは、川沿いの道から見ている曽波神が、まるでタプコプのように見える。
タプコプというのは、アイヌ語で団子のような形独立丘を呼ぶ。
この小さな山はまさにそんな感じで、川の傍にあることから、曽波神(そばのかみ)なのであろう。

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いつもは遠くに見える水門も、間近に見えて、迫力があり臨場感たっぷり。

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幾つもかかる橋の下を潜る時には、感激!!

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七ツ石と呼ばれる付近、江戸時代の舟運で、岩手県一関方面から
石巻までお米を運んだが、その舟がここで、船頭たちが休憩をしたと伝わっている。


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北上川は東北で一番大きな川、その河口の中瀬に石森章太郎などで知られる漫画館があり、
手前は津波で被災し、現在修理中の聖ハリストス教会が見える。

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内海さんという方が、親が急病の際橋が無かったために、辛い思いをしたことから、
私財を投げうって内海橋を架けた。その橋も津波で傷み、現在新しく架けられつつある。

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護岸工事なども、どんどん進められているが、津波は、約50km遡り、
岩手県境まで届いたそうだ。津波は川を急速で上るので、沿岸地帯は大変だった。
10年以上前にも乗せてもらったことがあったが、久しぶりに、ドキドキ・ワクワクの時間だった。


# by sidu-haha | 2018-03-13 01:59 | | Comments(7)
落ちそうで落ちない!!

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あの日から、まもなく7年になりますね。
たくさんの方にお世話になりました。ありがとうございます。
北上川が、海への出口付近に、釣り石神社があります。
巨岩が、山の斜面の途中で止まっていて、落ちて来ない。

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それで、受験生たちが、落ちないことを願って、たくさんお参りに来ていました。
今日も、老夫妻がやってきていて、「年寄りには、これくらいのことしかできないからね~」
と、両手を合わせ、御祈祷をお願いしているようでした。

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もともと中世の館跡だったようで、長い急坂を登った上は、館のあった所らしかったです。
近辺は、防潮堤や道、宅地などの工事車両がたくさん走っていて、おおお~、コワ!!でした。

神社の入り口というか、道の途中の角に祀られていた大きなお地蔵様です。
ご先祖様の徳を湛えているようでした。

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# by sidu-haha | 2018-02-22 18:46 | 自然 | Comments(9)
春祈祷へ行ってきました。

東日本大震災で被災した人々も、頑張っていますね~。
江戸時代とか、或いはもっと前から伝わっているという
俗に、春祈祷と呼ばれる疫病払いの獅子振りが、小さな浜ごとにあります。

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ここは、大室浜という所ですが、11日、起き抜けに出かけてお邪魔してきました。
獅子頭も、太鼓も、全て、震災後ご寄贈していただいたものだとか。
横笛や太鼓の演奏も、力が入っていて、心の中のドンドン響いてきます。

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地元の方々が集まって、神事や仏事の後、集落の神様、山神社へお参りし、
その後、各家ごとに回って、厄払いをして歩きます。

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踊っているのは、全て地元の方々で、大獅子と小獅子がいます。
小獅子は、先導役も、舞手も地元の小中学生でした。

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獅子もお神酒を振る舞われています。
獅子が立ち寄るお宅では、大変なご馳走を準備して待っています。

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必ず、一軒一軒、お家の中に入り、通り抜けて、厄を払いますので、
土足で歩けるように、家の中に茣蓙などで道を作っておきます。

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毎戸ご馳走になっていると、お酒もどんどん増えて、最後には酔っぱらってしまうとか。
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震災後、集落を去ったお宅もあるようでしたが、
この日だけは、戻って来ているらしいです。
若者も、お年寄りも、ちっちゃな子も、みんな笑顔いっぱい。
若い人たちが、祭りに参加しているのが素晴らしいなと思いながら、拝見してきました。



# by sidu-haha | 2018-02-12 11:59 | 春~ | Comments(11)
我が家のお客様、ヒヨちゃん

毎日寒い日々ですね~。この季節、小鳥たちは餌をどうしているのか~。
餌が取れないからなのかもしれないのですが、この季節になると、ヒヨちゃんが毎日やってきます。

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時々、食パンをちぎって、まいておくと、即、やってきて部屋の中を伺い、
大丈夫らしいとなると、地面に下りてきて、パクっと咥えてすぐ傍の木蓮の木へ。

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少し大きくちぎったら、一度にのみ込めなかったようで、
何度も口の奥へ入れたり出したりして、だんだん湿り気を多くしているよう。
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パンが憚っていますよね。大丈夫かな~。
大変なようですが、こんなのを繰り替えしては、部屋の前で遊んで行ってくれます。
朝になると、またおねだりをするように啼いてくれるので、
またまた、パンをちぎって、今度は小さくしてね。遊んでもらっています。(๑′ᴗ'๑)


# by sidu-haha | 2018-02-08 16:48 | 小鳥 | Comments(8)
仙台街歩き

今日は、仙台コンセキ発掘塾番外編で、仙台若林の方を、みんなで歩いて来ました。
先ずは、河原町から歩き始め、江戸時代の奥州街道を~、そしてまだまだ続きます。

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江戸時代には、宿だったという古い建物が残されていました。針久旅館です。
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ここは、七郷堀に沿った南染師町、愛染明王が祀られています。
染師町は、北では絹織物など高級品を、ここでは、庶民用の木綿を染めるのが専門だったそうです

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七郷堀にかかる橋の名が、南染師町でした。
次に、奥州街道へ、伊達政宗が仙台城を築き、その後若林城を築いたことで、こちらへも道が伸びたようです。

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何気なく歩いていると、高低差に築かないのですが、目線を下げると坂になっているのがわかるとか。
みんなで、腰を下ろして確認中!! それを向こうから写真に写す人もありです。

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足軽のおかれた五十人町、六十人町と続く通りには、足軽屋敷の名残もまだあって。
そして最後に、現在は宮城刑務所になっている若林城跡へ。
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高い塀がありますが、その手前に土塁跡が残されています。
ここは江戸時代からの城へ入り口の一つだったそうで、土塁が切れていました。

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一帯には、現在古城の地名が残されています。
若林城は、政宗も亡くなるまでの8年しか住めなかったそうで、その後は取り壊されてと聞きました。
しかし、現代になって発掘すると、いろいろその痕跡が見えて来たと、
ブラタモリで、タモリを案内した方が、今日は私たちをガイドしながら話してくれました。
仙台城下は、なんどか街並みが移されたりしながら広がっています。なかなか興味深い街歩きでした。



# by sidu-haha | 2018-02-04 22:15 | 仙台 | Comments(5)
氷の水面へ白鳥が~

このところ続いている雪と寒波で、さすがに大きな池にも、氷が厚く張ってしまった。

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今日は、白鳥が数羽いるだけで、鴨の群れもまったくいない。どこへ行ったのかな~。
と、そこへ、白鳥の鳴き声が~、そして、池の白鳥たちも、おかえり~と言ってるのかな~の気配。

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来た~~。帰って来たよ~。うわ~、嬉しいなあ~。
私も白鳥の家族気分で、空を見上げた。

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バシャバシャ、バシャと~水音というか、氷を割るような音も聞こえて、
僅かに融けて、狭い、水面に、おりてきた。
セーフ!! と言いたいような~。

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白鳥の白い色と、氷の白い色とが融け合ってしまって、写真としては、どうなのでしょうね~。
でも、氷で閉ざされたところへ、帰って来てくれて、すごく、嬉しかった。(๑′ᴗ'๑)



# by sidu-haha | 2018-01-28 17:29 | | Comments(7)
水鳥の災難

近くの川へ、白鳥に会いに行くと、ワンパク小僧がいた。

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ワザと鴨が遊ぶ水際を、ダッシュで駆けると、
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大慌てで飛び立つ、それが面白くてたまらないらしい。

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バシャバシャと羽音をさせて逃げる鴨さんたち、ちょっと可哀そう。
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止めない親もどうかと思ったのですが、
写している私も、悪いのよね~。ハンセイです。




# by sidu-haha | 2018-01-16 09:48 | 渡り鳥 | Comments(9)
登米市南方の大嶽山へ

南方の大嶽山興福寺へ、初めてお参りしてきた。

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黒門と呼ばれる山門、お寺といいながら、鳥居のよう。
他にも、何カ所か、赤い鳥居も立っていた。古い時代の神仏混淆の名残らしい。
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長い坂を登ると、緑のシャガがいっぱい。古代や中世には館だったろうか。
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どんどん、崖地が目立って来て、石垣や蛇籠が積まれていた。
ご住職のお話によると、岩盤ではなく、粘土が多いそうで、地滑りもあるらしい。

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山門が立派で、まるでお城の門のよう。
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登って、びっくり。まるで箟岳山の箟峯寺そっくりの建物。
伺うと、明治以降、箟峯寺の末寺になっているとのことだった。

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箟峯寺とそっくり同じ坂上田村麻呂伝説が残されていた。
大嶽丸というエミシの頭が、退治されて、首が鬼首まで飛んで行ったというお話です。
どうも、地元民としては、退治されたという言葉にひっかかりますけどね。
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可愛い狛犬さんでした。

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お堂の周りには、これは、二十四孝物語、どこかで聞いたことのある人の姿がずらっと。
知りたいことについては、全然目的が叶わなかったけど、立派なお寺に感激してきました。


# by sidu-haha | 2018-01-13 23:13 | 正月 | Comments(9)
仙台の河岸段丘を歩く


仙台の街は、元々城下町でした。
その城下町は広瀬川が作り出した河岸段丘の上町段丘・中町段丘・下町段丘にあります。

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ここは、宮城県庁で、勾当台という高台に位置しているます。
勾当台公園が左端まであったのが、東二番町を閉じた感じ(þ字路)になっていたそう。

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それが道路改修により北へ向かって真っすぐになりました。
この付近になると中町段丘になる。そして、次第に道は下がっていきます。

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ここは、公園の低い所から段丘を上る地形で、定禅寺があった場所へ向かう。
この上に、定禅寺の山門があったらしい。

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この像がある付近が山門跡。
このお寺は、時代は不明ですが無くなり、県庁付近は、仙台藩の学問所、
養賢堂になっていました。
その名残に、定禅寺通りの通り名が残っています。


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真中の道、この辺りが、養賢堂の門があった所だろうという。
そのため、市役所の前の通り(ここに真っ直ぐ通じる道)が表小路になっている。
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県庁から、南への道は、どんどん下がって行き、歩くとその傾斜がよくわかる。
しかし、この道、江戸時代にはこんなに真っ直ぐでなかったようだ。
それは、県庁のある段丘崖が道を遮るような地形だったのではという。
だから、左のほうへグイと曲っていると。

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ビルの谷間に残る古い地形や道、デッカイ街なのに、こんな風に歴史の痕跡があった。
うまく、説明できていなくて、すみません。
伊達政宗は、この河岸段丘をうまく利用して、仙台城下を作り出したらしい。



# by sidu-haha | 2018-01-08 02:03 | 仙台 | Comments(9)